ある探し

ある波動で行動に移すとあるの連鎖が始まる

 

これを感情に置き換えていくと

今ワクワクしてる

 

ワクワクする

 

ワクワク ワクワクが止まらない

 

ワクワクの目をしてるから

ワクワクを見つけ出してる目になってる

からどんな時もワクワクしてる

 

ワクワクを持って行動するから

氣持ちがワクワクになる

 

 

沖縄

今、俺はリゾバで沖縄のホテルで働いてる

4月から沖縄に来て、まだ沖縄にいるっていう

実感がない。なんでやろ!一回目来た時は旅行で着たんだけども、その時はプライベートで初めて、飛行機乗ったし壮宇と一緒だったから

ワクワクしてた。その時は自分一人で行けんくて壮宇と行ったんだ。

その時はすげえハイテンションだったな

決めたのが8月なんかしたいって思ってたから

8月が終わる一週間まえにチケット予約して

すげえノリと勢いでいったなー

その時は時間ばっか気にしてて

行きたいところも、着いた時に決めてたし

それでもすごく楽しかった!

壮宇と一緒だったけど、冒険したなー

自己のモヤモヤ

やりたいのにやれないって言う思い込み

この思い込みを破壊したかった旅だった

その思い込みもまだある

その時は20才だったけ 

今年24か

その思い込みももう手放すか

思い込みがあるのは、自分を守ってる

んだって、なにか不幸なことを起きないよ

うに自分は無理なんだって思う事で

しなくていいやー、って

守ってくれたんだね!自分の身を

何かが起きないよう、それは愛だ!

それに気づいたら、ありがとうございました!

ってなる

俺の事守ってくれて!

その思い込みも段々剥がれ落ちて来てる

愛と氣づいたらそれは愛でしかなった

 

 

 

 

帰る家

今日久しぶりに夜の散歩へ行ってきた。

秋の夜の風が心地よくて外へ誘われた。

いつも通りの公園へ行って、気持ちいい汗と一緒に帰る

それで、いつもなら流れのまま玄関を開けているのだが、今日は庭のベンチに座りたくなった。

家に居たのはお父さんの声とテレビの人

普段家からこう眺める事がないから、俯瞰して

家を見ていた。

いつもの自分ならこの家の一部なんだが、その時自分と家を切り離して見ていた。

家の物音、食べる音、食器の音、テレビの音

それを聞いていた。

いつも家の中で過ごしている時は家と一体となっているから分からないところがある。

家の雰囲気とか親は何故家に帰ってくるのだろうか。とかを考え深かった。

家に帰るって言う行為は皆慣れてしまっていて、当たり前だけど、よくよく考えれば僕たちは何処へ行ったって良いし。そこに集まらなくて良いのに何故人は帰るのか。

そこで自分も家に帰り、まず浴槽を溜めようとおもった。

汗が乾いて寒くなった身体を芯から温めたかった。

家に帰ったらお風呂に入るのは幸せだなと感じる瞬間だ。

それと、外では気を少し張っていたのが、家に帰ったらいつもの自分に戻っていた気がした。

欲を素直に表現できる場所だと改めて思う。

いつも慣れてしまっている家族の関係も俯瞰して外から見ることで気づかない所が発見できるかもしれない。

それで家とは何かというと人が作り出す、帰りたい、温かさを求めたり、欲を求めたり、自分を表現する事。

もし、実家や2人暮らししてる時、家の前で立ち止まって家の音、雰囲気を感じで欲しい。

自分が家の一部になってない時に、今の家を見て感じていつもない違った感性が働くかもしれない。

それと自分は何故ここて生活しているのだろうかを家から離れて考えるのも面白い。

固定概念の考え方とか見えて面白い。

逆に外のどこだって住める気さえもする。

それで、俺が家に求めるのは温かいお風呂!

帰ったら身体を温めたい!

それと、帰ったら人やペットがいるとホッとしたり、帰りたくなる。

それと寝る所が有ればよし。

 

 

 

 

 

たとえ無理だとおもうなら

この世界で起こる現象は、ただあるだけだ。

今自分がやりたくても無理とかおもうなら。

自分の考え方次第で、その思い込みは自由に変わる。たとえネガティブな事だって、できる範囲で楽しむ常にとは行かないが、自分の考え方の領域を楽しむ、学ぶと言う姿勢で、その思い込みは変わる。

例えば、アメリカ行きたい。と思うなら。

でも、お金がない。英語喋れないとか思うなら。それは今の自分の限界の考え方。

無いなら、なんでお金がいるのか、ならどうやってお金を生み出すのか。それは、自分の試練であり。学びに変わる。考えて駄目なら行動のみ!

考え方の領域、行動の仕方は無限。

あとは気持ち!!

 

勢いとノリ

学生時代に、宿題とかやらんといかん事は何故か猶予があるとやりたがらない人だった。

時間が有ればあるほど動けだせない人だった。

夏休みの宿題とかも8月終盤にならないとやらない感じだ。

それと同時に時間に追われる時はなぜかワクワクしてた。勢いとノリがあると時間の感覚がセンシ的で今を感じることができたからだ。

時間を持て余す時は何かを考えたい時、自由な発創でなにかを作りたいアイデアがポカンと降ってくる。それと同時に

なにかを実行したい時は時間を決めるといい。

人間の本能的に、やるかやらないか、そこで決まる。あとは繰り返しの行動だ。

それと、楽しそうな事、直感で軽くなったと言う事は自分のしたい事のヒント、サインになる

それと、環境が一気に変わると、人は普段しない事を突然する。それは、時間がある時ほどやらなくて、時間が限られてくるほどしたくなる。衝動的で楽しい。したい事。なりたいようにイメージする。そう言うふうに誘導して時間現しよう。